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イベント取材に行ってきました!

第46回白井環境・文化講座「中地区の環境と歴史を学ぶーなま街道水切り場」

6月25日(土)、鮮魚(なま)街道水切り場跡に案内看板が設立され、その記念式が開催されました。

なま街道とは

銚子で水揚げされた鮮魚を江戸まで運ぶのに、船で布佐の船着き場まで輸送、そこからは馬で浦部、平塚、中、富里を経由して江戸まで運ぶ道のことです。この道に沿う地域は往来が盛んでした。中の集会場脇にあるこの地は、かつては湧水が集まる池で、水切り場がありました。

令和3年秋に中地区の高齢者クラブつくし会により、整備され、なか街道水切り場の面影を伝える地としてよみがえりました。

(出典:第46回白井環境・文化講座「中地区の環境と歴史を学ぶーなま街道水切り場」資料)

この式典は、第46回白井環境・文化講座の一環で、NPO法人しろい環境塾(代表:渡邉康夫)と白井第二小学校区みどりの里づくり協議会(代表:小林正継)が主催で行われました。

 

《内容》
・なま街道水切り場案内板設立記念式と説明
・中地区の歴史文化史跡を散策 約2時間(環境美化のゴミ拾いも行います)
・集会所に戻り、講師より水切り場の歴史等について解説
 講師:白井第二小学校区みどりの里づくり協議会会長 小林正継さん


「鮮魚街道水切り場跡」案内看板設立記念式

木遣(きやり)【鳶職人の仕事歌】の披露から始まりました。謡:鳶 板橋 勇氏

中区長 山崎忠氏、区長代理 山崎富治氏による案内板のお披露目です。

水切り場とは、江戸まで運ぶ鮮魚の鮮度を保つために、竹かごの入れ物に入れた魚をきれいな湧水に浸して冷やすところ。水に浸した籠をあげて水を切る事から「水切り場」となった。

(出典:第46回白井環境・文化講座「中地区の環境と歴史を学ぶーなま街道水切り場」資料)

水切り場跡(白井市中327‐1横)に完成した【鮮魚街道水切り場跡案内看板】とお社

白井第二小学校区みどりの里づくり協議会会長 小林正継(左)さんが、この中地区の歴史と環境を守り続ける皆さんの前で、案内版の内容を朗読されます。

中地区の歴史文化史跡散策及び環境美化活動

では!中集会場から歴史文化史跡散策及び環境美化活動へ、しゅっぱ~つ!!この日はもう日差しも強く、暑い一日になりそうです。

歴史文化史跡散策には、講師(解説者)として小林正継さんが案内人です。

 

中集会場(水切り場)→鮮度街道→八幡神社外観見学→畑の中の道を通過→第二小学校外観見学→青面金剛像→鮮度街道→中集会場(薬師如来像見学及びまとめ)

 

というコースで、環境美化活動も同時に行いました。

環境美化活動ですからね!ゴミ袋と手袋は必須アイテムです。

なま街道沿いに鎮座しています。

中集会場の敷地内に力石が残っています。銀杏の木のそばに一つ、集会場西側に2つあり、普通の人間には持ち上げられない重さです。鍛錬や娯楽として江戸時代から明治時代まで、力石を用いた力試しが盛んに行われていたそうです。重さは、60Kgから200Kgを超すものまで様々です。


鮮魚(なま)街道

木下街道もなま街道の一つですが、かつては舟が入れる手賀沼近辺が便利で、平塚~中~冨塚を通り松戸まで陸路で運び、そこからまた舟で江戸へ運ぶ道が栄えました。

中、冨塚から下総基地内、佐津間、五香、松戸の納屋へと魚を運んだ道です。


湧水の流れの後

下総台地は「知る井」(白井の由来の一説)と言われるように、きれいな湧水が多い所でした。今はどぶ川(排水のよう)になっていますが、ここに一つの湧水の流れがあったのです。

ばらっぱまんじゅうの葉っぱ?!

きっと(?)みなさん大好きですよね!?

「ばらっぱまんじゅう」はこの葉を蒸して使用するんですよ!初めてみました。自生しています。

今年2022年7月9日(土)12:30から16:00まで、公民センターで「ばらっぱまつり」が開催される予定です。

まだ食べたことのない方も、大好きな方も、売り切れ必至「ばらっぱまんじゅう」を食べましょ!

使用されていない畑、野菜などを育てられなくなった土地は増加の一途を辿り、放棄地にすると荒れてしまうため、このような姿になっています。周囲が殆どこのような状況です。

畑地の字名

砂久保と湧水(分水嶺で手賀沼水系と印旛沼水系)とに分かれる段差のある土地を教えてもらいました。

中ノ瀬や中峠(なかびょう)などもそうなのだそうです。

空き缶やペットボトルなどなど・・・。投げ捨てが横行しているんです。

環境美化活動の取材も忘れていません!

ゴミ拾いを続けながら、第二小学校の過去、現在を教えて頂きました。

白井第二小学校

昭和10年創立。元は富塚学校と名内学校、平塚学校(元印西区域から白井に移り、第二小の分校、廃校)。校章が戦後まで第一小学校と同じでしたが、昭和46年頃、かつての富塚学校の校章を使用したそうです。千葉ニュータウンによる開発とともに、少子高齢化が進み児童数が100人を切りました。

 

特認校指定、学童の創設、学校と地元の努力により現在90人前後に留めています。

 

 

青面金剛像・庚申塔

第二小学校入口交差点付近に鎮座しています。車で通り抜けてしまうと気付かないです。

大きなゴミの塊を発見。どうしてこんなところに・・・。と、皆さんが協力して撤去しました。

中集会場に帰って来ました!

皆さんの協力でゴミを減らすことができました。

中集会場だった場所には、元薬師堂があったのです。

薬師如来像

仏教の伝来以後、治療の仏として広く信仰されました。薬師如来を本尊とする寺院の寺号には「薬師寺」「薬王寺」「医王寺」などのほか、「東光寺」「東明寺」のように「東」の字が付くことが多く、薬師如来が東方浄瑠璃浄土に住すると信じられていることによるそうです。


謝意:第46回白井環境・文化講座(中地区の環境と歴史を学ぶーなま街道水切り場)は、中地区の史跡や歴史が目の当たりにできました。お住まいの皆さんお一人お一人が、この地を誇らしく語り、時代の流れの中にあっても、良いところはいつまでも残しておきたいという想いが伝わりました。取材させて頂きました、NPO法人しろい環境塾代表の渡邉康夫氏、白井第二小学校区みどりの里づくり協議会代表小林正継氏を始め、地域の皆様には、心より敬意を持って御礼申し上げます。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。