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白井の史跡・文化財

散歩の達人と行く「木下街道 白井 根 三天神社」巡りと史跡調査

「しろいふるさとガイドの会(会長:市川善美)」は白井市の歴史や文化・自然や生活・地形や地名の生い立ちなど、白井の魅力を学び伝える活動をされています。今回、市内に鎮座する「白井 根 三天神」を紹介していただくと共に、馬頭観音や競走馬の墓碑調査に同行しました。

名馬生食の活躍から始まった?競馬界の歴史に名を刻んだ名馬たちの碑

 

JRA競馬学校敷地内には、複数の馬頭観音や競走馬の墓碑が存在します。

 

「しろいふるさとガイドの会」史跡調査として入校が許可され、特別に撮影させて頂きました。JRA競馬学校関係者の皆様ありがとうございました。

馬頭観世音の石碑

はっきりとは見えませんでしたが、確かに押印がされていました。

嘗ては各地で喝采を浴びた名馬たちは、ここでゆっくりしています。

同行させて頂いた「しろいふるさとガイドの会」も影山さんも入念に調査をされていました。

「キタノオー碑」

競馬学校内の石碑については、馬名がわかっているものの一つとして「キタノオー碑」があります。しろいふるさとガイドの会影山さんより「キタノオーという馬」について情報を提供頂きました。

キタノオーという馬

影山 廣輔

 

白井にあるJRA競馬学校の敷地の中に、複数の馬頭観音や競走馬の墓碑が建ち並ぶ一角があるのをご存じでしょうか。それらに刻まれた競走馬の名前を見ると、1961年天皇賞(秋)完走直後に死んだサチカゼ(1956~1961)の他、クリノフサ(1956~1960)、ミチサク(1964~1968)など、10歳にも満たず早世した馬の名が多く見受けられます。そしてそれらの中には、顕彰馬に匹敵する輝かしい戦績を残した名馬も存在するのです。

 

■1956年クラシック「三強」の一角

キタノオー(1953年5月15日~1958年10月14日)は、中央競馬で活躍した競走馬です。父トサミドリ、母バウアーヌソル。トサミドリはセントライト(日本競馬史上初のクラシック三冠馬)を兄弟に持ち、自らも1949年に皐月賞と菊花賞のクラシック二冠を制した顕彰馬です。

競争年齢の3歳(数え年)に達した1955年久保田金造厩舎に入り、8月13日に初勝利、11月の優勝戦で生涯のライバルとなるハクチカラと初対戦します。この時はハクチカラに敗れ3着となりますが、12月の朝日盃3歳ステークスで再び顔を合わせ、圧倒的1番人気だったハクチカラを3馬身差で下し優勝を果たします。そして、この年の最優秀3歳牡馬に選出されました。

 

翌1956年のクラシック三冠戦線では、皐月賞をヘキラク、日本ダービーはハクチカラに1着を譲ったものの(いずれもキタノオーは2着)、菊花賞で優勝、クラシック最後の三冠目を制しました。また、菊花賞より前のセントライト記念でも、ハクチカラを退け勝利しています。年末には、この年に創設された第1回中山グランプリ(有馬記念)にファン投票1位選出で出走。出走12頭中8頭が八大競争(※1)優勝馬という中において、メイヂヒカリに次ぐ2着となります(ハクチカラ5着、ヘキラク12着)。優勝したメイヂヒカリはこのレースを最後に引退。キタノオーが次代最強という印象を世間に与え、最優秀4歳牡馬となりました。

(※1) 八大競争……桜花賞、皐月賞、優駿牝馬(オークス)、東京優駿(日本ダービー)、菊花賞、天皇賞(春・秋)、有馬記念

 

■悲運の名馬

明けて1957年。春まで休養したキタノオーは3月に目黒記念(春)で復帰。一番人気に推されるも、ハクチカラに約2馬身差の5着で敗れます。4月の天皇賞(春)では出走を回避する陣営が続出し、ハクチカラも不在の7頭立てのレースでしたが、3分21秒1のレコードタイムで勝利。夏の休養の後、10月のオールカマーでは、ハクチカラや「アラブの怪物」の異名を持つセイユウなどを下して優勝。しかし、続く目黒記念(秋)では再びハクチカラに敗れます。そして年末、中山グランプリ改め有馬記念で両馬は雌雄を決すると見られていたのですが、直前になってキタノオーが故障のため休養に入り、それ以降両馬の直接対決は実現しませんでした(※2)。両馬の生涯を通しての対戦成績はキタノオー6勝、ハクチカラ4勝となります。

(※2) キタノオーが見送った有馬記念にハクチカラはファン投票1位にて出走、優勝を果たす。この時の単勝式馬券は100円の元返しであった。

 

1958年、キタノオーは春に復帰し1勝をあげるもののその後は振るわず、夏を休養にあて、秋に北海道から中山競馬場へ輸送される途中、急性肺炎を発症。10月14日にその短い生涯を終えます。生涯成績29戦16勝。

対するライバルのハクチカラは、同年5月アメリカへの長期遠征を敢行。翌59年2月ワシントンバースデーハンデキャップで優勝し、海外の重賞制覇を成し遂げた初の日本馬となりました。1979年老衰により27歳(数え年)で死亡。生涯成績49戦21勝。

 

1984年JRA顕彰馬制度が発足。同年、ハクチカラが顕彰馬に選出され殿堂入りを果たしました。これについて当時選考委員の一人であった大川慶次郎は「個人的な意見を言わせてもらえば、キタノオーの方が一枚上だったかもしれません」「ハクチカラとキタノオーも、ペアで殿堂に入れるべきだったかなと思いますね。殿堂馬に入ったことでハクチカラを語る人は今後も多いと思いますが、キタノオーを語る人は少ないでしょう」と述べたそうです。

 

なお、キタノオーを始めとする競馬学校の石碑群に関しては『白井町石造物調査報告書 ―第一集―』(昭和61年3月25日発行)の「根、競馬学校馬頭塚」の項目では(6基の馬頭観音を除き)一切触れられていません(※3)。一刻も早い追加調査が求められます。

(※3) 報告書に記載されていない理由については、これらが調査後になって持ち込まれたためか、あるいは、当時から在るにはあったが「墓塔は、特別なもの以外は除外する。(調査報告書第一集、1ページ、I調査について)」の基準に引っかかって調査対象から外れたためかは不明。

しろいふるさとガイドの会の影山さんは「今後も継続して追跡調査をしていきたい」と話されました。しろいまっちも情報を随時更新し、情報発信のお手伝いをしていきたいと思います。影山さんありがとうございました!


謝意:白井市内の神社について取材をしたいと「しろいふるさとガイドの会」影山さんへ相談したところ快く受け止めて下さり「白井 根 天神社」の取材が実現しました。

今回の取材では、しろいまっち編集部単独では見逃すような史跡調査の視線なども教えて頂く事ができました。今回の取材で紹介していない貴重な体験もさせて頂きましたので、近日紹介します。

今後も引き続き市内神社・仏閣などの情報も発信していきます。取材同行を快諾頂きました「しろいふるさとガイドの会」影山さんには心中より御礼申し上げます。

取材日:2022年8月12日

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。