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きらめく人たちにインタビュー

パリ2024オリンピック銅メダル「初老ジャパン」戸本 一真選手にインタビュー

パリ2024オリンピックで銅メダルを獲得した総合馬術団体チーム『初老ジャパン』の戸本 一真(ともと かずま)選手は、白井市にあるJRA競馬学校の教官として、白井市に1年間在住していました。

戸本一真選手&愛馬「ヴィンシーJRA」

 

公益社団法人日本馬術連盟から写真提供いただきました。謹んで御礼申し上げます。

個人決勝ラウンドを走行中の戸本選手

©日本馬術連盟

戸本一真選手

【主な戦績】
開催年/大会名/騎乗馬名/成績

2023/CCI4*-S Little Downham/VINCI DE LA VIGNE JRA/優勝
2022/CCI4*-S Little Downham/BROOKPARK VIKENTI/優勝
2022/プラトニ世界総合馬術選手権大会(イタリア)/VINCI DE LA VIGNE JRA/団体11位・個人8位
2021/東京オリンピック2020/ VINCI DE LA VIGNE JRA/団体11位・個人4位
2019/CCI4*-L Cappoquin/VINCI DE LA VIGNE JRA・優勝
2019/CCI4*-S Chatsworth/BROOKPARK VIKENTI/優勝
2019/CCI4*-S Ballindenisk/BERNADETTE UTOPIA/優勝
2018/トライオン世界馬術選手権大会(アメリカ)/TACOMA D’HORSET/団体4位・個人23位

出典:公益社団法人 日本馬術連盟

走行を終え愛馬をねぎらう戸本選手

©日本馬術連盟

ヴェルサイユ宮殿の中で行われたクロスカントリー

©日本馬術連盟

(左から)北島 隆三選手、大岩 義明選手、田中 利幸選手、戸本 一真選手

©日本馬術連盟

戸本 一真選手にインタビュー

Q:「パリ2024オリンピック」感想を聞かせてください。

 

小学生の時に馬術を始め、中学生の頃には漠然と「オリンピック出場」という目標を持っていました。東京オリンピックに出場できたことで、その夢の一つが叶いました。東京オリンピックが終わった時、日本に帰国する予定でしたが、4位という結果に終わりメダルに手が届く位置に入れたことで、これまでメダル獲得のために続けてきた気持ちがさらに強まりました。そのため、パリオリンピックを目指すことになり、夢が現実になって本当に嬉しく思っています。

 

「今から表彰式を始めますので、日本チーム入場してください」とアナウンスされた時、「これは本当に自分たちに起こっていることなのか」と不思議な感覚に包まれました。表彰台に上がる時、4人で「この景色を目に焼き付けて登ろう」と話し合い、表彰台から見える光景は本当に素晴らしかったです。

Q:オリンピック後の周りの反応はいかがでしたか?

 

友人や知人から数百件のメールやLINEが届きました。東京オリンピックで4位入賞を果たしたのは89年ぶりだったため、その時も見たことのない数のLINEやメッセージをいただき、やはりオリンピックは影響力があるんだと感じました。

メダルを獲得した後の方が忙しくなりました。次の日から各報道機関の取材を何度も受け、さまざまな方から反響をいただきました。馬術がテレビで放映されることが嬉しく、4位とメダル獲得の違いは、わずか一つの順位の差ですが、オリンピックでのメダルの有無による違いを特に強く感じています。オリンピックやメダルの持つ力を実感しています。

 

Q:「総合馬術」の魅力を教えてください。

 

オリンピック種目の中で唯一動物が参加するスポーツで、動物にも当然意思があります。今回騎乗したヴィンシー号とは、彼が9歳の時にフランスで出会い、現在19歳になります。

言葉の通じないもう一人のアスリート(ヴィンシー)をバディとして、同じゴールを目指す難しさがあります。相棒が意思を持っているからこそ助けられることもありますね。

普段は言葉が通じず、でも気持ちを一つにして同じゴールを目指さなければならないところが、総合馬術という種目の難しさであり魅力だと思います。

 

乗馬以外の時間に厩舎での様子や、何気なく立っている姿を見ながら、この馬の性格を把握していきます。実際に乗って鞍を通して背中から伝わってくるもの、手綱を通して首から伝わってくるもの、顔から伝わってくるものを細かく感じ取っていきます。

 

総合馬術の競技の中で、2日目に行われるクロスカントリーが一番の山場で、馬自身が理解して自分の仕事をこなさなければならない場面がたくさん出てきます。

障害物を飛べないような無理な体勢からでも頑張って飛んでくれたりしたときは、自分の気持ちが完全にこの馬に伝わっていると感じますし、正しく誘導さえすればバディは絶対に飛んでくれます。走っている最中に信頼も生まれ、自分の気持ちを理解してくれていることを感じます。

Q:総合馬術を始めたきっかけを教えてください。

 

自分には2つ年上の姉がいて、運動が嫌いでいつも家で本を読んでいるような姉でした。母は健康のために何かスポーツをやってほしいと思い、母の友人が勧めてくれたのが乗馬でした。姉が先に乗馬を始め、僕はついていって近くの公園で遊んでいるだけでしたが、ある時先生に「馬に乗ってみないか」と言われて、その時初めて乗ったことがきっかけです。

 

Q:「初老ジャパン」という名前がついた経緯を教えてください。

 

パリオリンピック直前に行われたチーム合宿中、みんなでワイワイ食事をしながら、「チーム名がないから、○○ジャパンみたいな名前が欲しいよね!」という話題になりました。総合馬術はまだマイナースポーツであり、もちろんメダルを目指していますが、自分たちで名前をつけようとすると、どうしても自虐的な笑いのネタになってしまいます。

 

全員が昭和生まれだったので「昭和ジャパン」というアイデアも出ましたが、みんなで楽しく盛り上がっているときに監督が「全員が初老の年齢だから、初老ジャパンかな」というニュアンスのことを言い、それに対して「初老はないですよ!」とか「それもいいですね!」というリアクションもなく、その場は笑い話で終わりました。

 

その後、合宿に密着取材していた記者の方が、その話を記事にしてくださった際に、初めて「初老ジャパン」という名前が文字として世に出て、それが広がったという感じです。キャッチーなネーミングがあったおかげで多くの方に注目していただけたと思いますし、総合馬術がどんな形であれ注目されることは私たちにとって嬉しいことなので、今ではこの「初老ジャパン」という名前で注目を集められたことを喜んでいます。

Q:馬術競技の難しさ、馬との意思疎通に大切なことはありますか?

 

馬に乗る際に大切なのは、馬の背中から感じる感覚、視覚的な感覚、そして手綱から伝わる感触の三つです。

 

基本的には、両手と両足で馬に合図を出していますが、トップレベルに行けば行くほど操作は単純ではなく、非常に精密な調整が求められます。例えるなら、昔の携帯電話とスマートフォンほどの違いがあります。操作が難しいとしても、手綱を引く際に、たとえば1から10まで細かく使い分けられるようになるのです。もし手綱を引く操作が1か10の二択しかないのが昔の携帯電話だとすれば、1から10までの細かな操作が可能なのがスマートフォンです。

 

オリンピックレベルの馬は、単に手綱を引いたり、蹴ったりするだけではなく、どれくらい引くのか、どれくらい蹴るのかを繊細に調整しながら、さまざまな技を繰り出します。

 

さらに、馬も意思を持っているため、彼らの気持ちを尊重しなければならないときもあれば、逆に馬に我慢してもらわなければならないときもあります。乗りながら常に微調整を行う必要があります。

 

Q:JRA競馬学校へはどのような経緯で関わられたのですか?

 

2010年3月1日付けで競馬学校に転勤してきました。転勤前は滋賀県栗東トレーニングセンターで勤務していました。馬術を専門とする馬術職で入社した社員は、教官として競馬学校にいずれは行くこともあると思っていました。白井市には1年間ですが冨士に住んでいました。

Q:白井市での思い出や印象をお聞かせください。

 

店名は忘れてしまいましたが、北総線方面に向かう途中、左側にコンビニエンスストア、右側には1階がスーパーで2階がおもちゃ屋さんという建物がありました。そのスーパーの駐車場に来ていたキッチンカーの焼き鳥屋さんで、よく焼き鳥を買って食べました。とても美味しかったですね。

 

印西牧の原付近や、まだ新しかったイオンにも、特に用事がないのに足を運んでいました。また、白井市の梨もよく食べました。私は岐阜県出身で、岐阜も梨の有名な産地です。子供の頃から梨が大好きでよく食べていたので、木下街道沿いの梨屋さんでも買っていました。

 

Q:白井市での生活でフィジカル面など影響はありましたか?

 

フィジカル面では、競馬学校の敷地内外で、仕事が終わった後に走ったりしていました。白井市にいた期間、競馬学校の教官が主な仕事で、馬に乗るのも生徒指導のためでした。

 

つまり、自分のためにトレーニングしたり、自分のために馬に乗るという環境ではなかったのです。アスリートらしいトレーニングはしていませんでしたが、いつかまた選手に戻れる日が来ると思い、その時のために走るなどして備えていました。

 

白井は非常に便利なまちで、木下街道の渋滞もありますが、とてもリラックスできて住みやすいまちだったという印象があります。

Q:現在も白井市に来られることはありますか?

 

これまでの8年間、活動拠点は年間10か月をイギリスに置き、オフシーズンの2か月間は日本に戻って仕事をしていました。そのため競馬学校には、一昨年訪れました。日本にいる2か月の間に競馬学校の職員を指導する仕事があり、一昨年は10年ぶりに競馬学校に行きました。

 

僕の外国人恩師は休暇を大切にされる方で時間の使い方がとても上手でした。理想として住む場所では時間がゆっくり流れ、遊びに行きたいときには都心行くこともでき、近くにショッピングモールなどがある環境です。まさに白井は、ゆっくりと時間が流れアクセス環境もよくて、とても良いまちだと思います。

 

Q:今後の取り組みとして展望などを教えてください。

 

日本への完全帰国が決まっていますので、今後の活動拠点は日本になります。JRAとしても次の世代を育てていく計画があり、現在は次の世代が育っていないのも課題としてあります。

 

僕自身は馬術選手としてはまだ中堅にさしかかったぐらいです。個人として、いちアスリートとしてロスオリンピックにも出場したいし、その次も出場したい気持ちはありますので、これからは日本が活動拠点ですが何かチャンスが巡ってきた時には、いつでもチャレンジできるように準備をしなければいけないと思っています。

 

今回メダルを取れたことによって馬術が今注目されています。乗馬クラブのホームページのアクセスが10倍になったとも聞いているので、オリンピックメダルというのは絶大な力があって皆さんが興味を持ってくれている間に、今度は我々がどうそれを取り込むか、本当に今とても大事な時期だと思いますね。

Q:白井市の皆さんにメッセージをお願いします。

 

白井市に住んでいた期間、私は選手ではありませんでした。その1年間は、オリンピックを強く意識していたわけではありませんが、いつか選手として戻るという思いは強く持っていました。選手に復帰した際、いつでもスタートダッシュができるようにと考え、この1年は非常に重要な期間だったと感じています。

 

白井市での生活があったからこそ、アスリートとして再びスタートを切り、その後の周囲の状況や運命的な要素も重なり、想像以上にオリンピックへの道が加速したのは間違いありません。1年過ごした白井のまちに心から感謝しています。

 

戸本 一真選手、ありがとうございました。

取材日:2024年9月13日

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。