きらめく人たちにインタビュー
田井さんはデフ陸上棒高跳び選手。七次台小、七次台中を卒業しました!23歳の時に右耳の病気で右耳を失聴し30歳で左耳の聴力が低下、デフ陸上の世界と出会い挑戦を続ける田井さんにインタビューしました。
第22回夏季デフリンピック競技大会 100mハードル 第3位
第23回夏季デフリンピック競技大会 100mハードル 第7位
第24回夏季デフリンピック競技大会 100mハードル 第5位
第2回世界デフ陸上競技選手権大会 100mハードル 第2位
第3回世界デフ陸上競技選手権大会 100mハードル 第3位
100mハードル日本デフ記録保持者
第20回日本デフ陸上競技選手権大会 棒高跳 第2位
第58回全国ろうあ者体育大会 棒高跳 優勝
市民の方から情報をいただき、田井小百合さんを知りメールにて質問事項を送り、ご返事をいただきインタビューが実現しました。
「継続は力なり」―どんなに小さなことでも日々積み重ねていくことで、それは後に大きな力となること。

七次台小学校時代運動会リレー
写真提供:田井小百合さん
Q:白井市での子ども時代について教えてください。陸上を始めたきっかけは何でしたか?
田井さん:幼少期から足が速く、小学校時代は男の子よりも速いくらいでした。小学校5年生の時に陸上大会のための練習会が学校であり、様々な種目の記録測定をしたのですが、ハードルの記録がずば抜けて優れており、当時陸上を指導されていた中野民樹先生にハードルを勧めていただいたことがハードルを始めたきっかけです。ハードルを怖いと思わず、ハードルを越える度にスピードに乗っていく感覚が楽しかったことを今でもよく覚えています。
私は幼稚園年長になる前に七次台に越してきたのですが、当時の七次台はニュータウンとして家が建ち始めたばかりの頃で、家の周辺は野原、土手、小川などもあり、外で遊ぶことがとても多かった記憶があります。家から一番近かった野口台公園で友達とよく遊びましたが、木登り、秘密基地作りなど、公園だけでなく近くの林や森に入って遊ぶこともありました。
学校では先生方、友達にも恵まれ、毎日楽しく学校生活を送っていました。朝の七小タイムや昼休みはよく友達と外で遊んでいました。時には職員室に先生を呼びに行き、一緒に鬼ごっこなどで遊んだこともあります。学校行事で地域の方や保護者と一緒に竹馬を作った体験も良い思い出の一つです。

七次台中学3年時全日本ハードル決勝
写真提供:田井小百合さん
Q:中学3年生で全国大会の当時の思い出や周囲の反応はいかがでしたか?
田井さん:夏休みの県の強化練習会でスタートから1台目までの歩数が他の人より1歩多いことをハードル専門の先生に指摘され、全国大会までの約1か月でそれまでの歩数から1歩減らしたスタートからの流れを徹底的に練習したことが実り、自己記録を0.5秒ほど伸ばして全国大会で優勝することができました。
当時優勝候補が別におり、私は全く注目されていなかったので、プレッシャーがかかることもなく伸び伸びと走れたこと、暑さの中予選、準決勝、決勝の3本を一日で走らなければならなかったため、予選、準決勝は体力温存をして決勝で全力を出し切るという作戦がうまくいったことも勝因だと思っています。北海道まで応援に来てくれた両親や、リレーに一緒に出場した仲間がとても喜んでくれたことを今でもはっきりと覚えています。
Q:白井市での想い出を教えてください。
田井さん:市内の冨士にあるベーカリーハイジは家族全員が大好きなのでよく買っていました。今でも実家に帰省した時は必ず立ち寄るほどです。また、白井にあるさつまやさんのどら焼、大どら、いちご大福もよく食べていました。
梨は幸水が一番好きです。私の小学校時代からの友人のご両親が梨を作っておられて、小学生の頃からその梨屋さんの梨をよく食べていました。大人になってからは、毎年夏にお世話になっている方々へ白井の梨を送っています。白井の梨は本当においしいので、今でもお中元に送るものと一緒に自宅用にも幸水を取り寄せて家族で味わっています。
Q:30歳で耳の病気を患い、陸上を続ける決意に至るまでどのような葛藤がありましたか?
田井さん:23歳の時に右耳の病気で右耳を失聴しました。その時もショックを受けましたが、右耳が聞こえないなら左耳を頼りにすればいい!と前向きに考えていたので、30歳で左耳の聴力が低下した時は右耳以上の大きなショックを受けました。左耳の病気で補聴器をつけないと日常生活に支障が出てしまうくらい、相手の話している声はほとんど聞き取れなくなりました。
また、音の方向性が今まで以上にわからなくなりました。このまま左耳も聞こえなくなってしまうかもしれない、という恐怖、今後の生活への不安もあり、絶望しかありませんでした。ただ、それまでは耳が不自由であることを周りに隠しがちでしたが、両耳が不自由になり、いよいよ自分の障害と自分自身がしっかりと向き合う時がきたのかもしれない、と思うようにもなりました。
障害がありながらもなんとか前向きに生活ができればと思い始め、聴覚障害について色々と情報を集めている中で、デフリンピック、デフ陸上の存在を知りました。同じような障害を持つ人々が集う国際大会があるということを知ったことで目の前が一気に開け、もう一度走りたい!デフリンピックに出てみたい!という強い思いがわき上がってきました。デフリンピックに挑戦することを自分の障害を受けいれ、前向きに生きていく新たな人生のスタートとすることにしました。
2012年世界デフ選手権銀メダル
写真提供:田井小百合さん
Q:実際に飛び込んでみたデフ陸上の世界の印象や、トレーニング方法や競技の魅力、工夫などはありますか?
田井さん:デフ陸上の仲間のほとんどは手話でコミュニケーションをとっており、当時私は手話が全くできなかったのですが、手話を読み取り言葉に通訳してくれる仲間がいて本当に助かりました。私とコミュニケーションをとりたいと仲間が色々と工夫して接してくれたことは本当にありがたかったです。仲間が手話を使っている時には、手だけではなく、顔の表情や身体も使って自分の言葉を表現している様子はとても生き生きとしていて印象に残っています。
デフ選手が国際大会に出場する時は、補聴器などの聞こえを補助する機器は外さなければならないルールなので、聞こえない状況でも自分の力を存分に発揮できるよう、陸上や水泳などのスタートの合図はスターターの声やピストルの代わりにランプを光らせます。ランプの光を目で見て身体を動かすことに慣れるために、信号待ちをしていて赤から青に変わる瞬間に素早く身体を動かすトレーニングが有効だと仲間に教えてもらいました。球技や武道などの場合は、審判が大きな旗を持ったり、会場内にランプを設置して光らせるなどして試合中断などの合図が視覚的にわかるように工夫されています。
私達デフ選手は、耳が聞こえないという点を除けば健常者と同じように身体を動かすことができるので、どの競技も競技レベルが高く、迫力もあって見ごたえがあります。
Q:「棒高跳び」へ種目を変えた理由や新たな目標について教えてください。
田井さん:本来は2022年のブラジルデフリンピックで競技を引退するつもりでしたが、翌年開催予定だった世界デフ室内大会の60mハードルに挑戦してみようとブラジルデフリンピック後も競技を続けていました(コロナ禍の影響で大会は中止)。
その後、2022年秋に2025年のデフリンピックが東京で開催されることが決まりました。2025年まではあと3年。2022年のデフリンピックではメダルには届かず、この先続けていても記録の向上やデフリンピックでのメダル獲得は難しいと自分自身で感じていました。ただ、小学校5年生の時に初めてハードルの試合に出てから約30年、ハードル一筋で競技を続けてきたので、東京デフリンピックはハードルで有終の美を飾りたいという思いもありました。
(※インタビュー後、東京デフリンピック・女子棒高跳種目の開催中止が9月7日発表されました)
悩みに悩みましたが、自国開催の東京デフリンピックで自分がどうありたいかと考えた時に、デフリンピックに出るだけでなく、やはり海外の選手とメダル争いをしたい、勝負がしたいと強く思いました。そう思った時に一番可能性を感じたのが棒高跳でした。自宅から車で数分の所に棒高跳の室内専用施設(ベルドーム)があることも種目転向の大きな理由の一つです。
数年前からマスターズにも登録しており、45~49歳クラスのアジア記録(3m41)の更新と、来年の夏に開催される世界マスターズ陸上でのメダル獲得が目標です。
2013年デフリンピック銅メダル
写真提供:田井小百合さん
Q:他国の選手との交流や、印象に残ったエピソードがあればお願いします。
田井さん:デフ陸上の国際大会では、コミュニケーションツールは国際手話とジェスチャーで、スタート方法もその国が製作したランプを使用するなど、今までに経験したことのないことばかりでどれも新鮮でした。
また、他国の選手はとても表情が豊かで、言葉が通じなくてもその国の手話がわからなくてもお互いジェスチャーや表情で自分の伝えたいことが相手に伝わることもわかり、その点はとても面白いと思いました。
大会期間中は他国の選手と自分の国のバッジやグッズを交換する習慣があり、同じハードルで競い合った選手とTシャツやバッジを交換したり写真を撮ったりした思い出があります。また、ボランティアや役員、地域の方々も気さくに話しかけてくれるので、選手以外の人達とも国際交流ができる点もデフの国際大会の大きな魅力であると思っています。
Q:これからの目標、白井市の子どもたちや市民の皆さんへメッセージをお願いします。
田井さん:まずは東京デフリンピックでのメダル獲得を目指します。日本で初めて開催されるデフリンピック。都内で開催される競技が多いので、ぜひみなさん、会場へ足を運んでデフアスリートの応援をよろしくお願いいたします!
東京デフリンピック後もマスターズで競技を続けていくつもりですが、現在競技活動と並行して、講演や陸上教室などの活動もしています。いつか白井市内の小中学校や地域のイベントで自分自身の経験やデフリンピック、デフスポーツについてお話しする機会が作れればと思っています。

田井さんご家族の写真もお送りいただきました!ありがとうございました。
「継続は力なり」―どんなに小さなことでも日々積み重ねていくことで、それは後に大きな力となることを、長年競技を続けている中で実感しています。どんなに努力しても自分の夢や目標をかなえることができない場合ももちろんありますが、それまでに積み重ねてきたことは決して無駄にはならず、別の形で自分のその後の人生に必ず活きてくる時が来ると私は信じています。若い皆さんは無限の可能性を持っています。自分を信じて、それぞれの道を力強く進んでいって下さい。
田井さん、ありがとうございました。
2025年 11月 15日(土)~11月 26日(水)に東京にて開催される東京2025デフリンピックで一部種目が中止になり、該当選手が出場予定の種目が含まれていたことをお知らせいたします。
東京2025デフリンピック(該当選手の種目)
・女子棒高跳
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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