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白井市戦没者追悼式が執り行われました。

2022年10月6日白井市文化センターかおりホールで、先の大戦で犠牲となった方々に追悼の誠をささげ、平和を祈念するため戦没者追悼式が執り行われました。

白井市戦没者追悼式

拝礼

白井市笠井市長、山下副市長、白井市議会岩田議長を始め、市自治会連合会長、市社会福祉協議会長、市議会議員

市遺族会、ご遺族の方々が列席されました。

白井市 笠井喜久雄市長式辞

白井市 笠井喜久雄市長

本日ここに、ご遺族ならびに多くのご来賓にご参列を頂き、白井市戦没者追悼式を執り行うに当たり、戦禍の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで追悼の誠を捧げます。

先の大戦においては数多くの尊い生命が失われ、本市におきましても多くの方が犠牲となられました。家族の将来と祖国の安泰を案じながら、戦禍に倒れられた方々の御霊に思いを馳せます時、ご遺族をはじめ私たちにとりましては深い悲しみであり、痛恨の情、胸に迫るものがあります。

最愛の肉親を失われたご遺族の皆さま方の御心情を拝察する時、お慰めの言葉もございませんが、一家の支柱を失い戦後の混乱の中を、言い知れぬ苦痛と戦いながら生き抜いてこられた並々ならぬご苦労に対しまして、心から敬意を表する次第であります。

戦後わが国は、戦争の悲劇を二度と繰り返さない事を誓い、日本国憲法の理念である、平和と繁栄を真摯に希及し世界に類を見ない平和国家へと発展させ、世界有数の経済大国として、平和と豊かさを享受しております。

これも戦争の犠牲となられた方々とご遺族の皆さまのご労苦の上に築かれている事を決して私たちは忘れてはなりません。終戦から77年の歳月が過ぎ、戦後に生まれた世代が大半を占め、戦争の悲惨さ、その記憶の風化が危惧されています。私たちは平和の大切さや戦争の悲惨さを次の世代にしっかり伝え、あらゆる暴力や紛争をなくし世界の恒久平和の実現に向け、なお一層努力していかなければなりません。

本日の戦没者追悼式にあたり、あの悲しい歴史を二度と繰り返す事のないようわが国の恒久平和への誓いを新たにいたします。加えて白井市の「平和都市宣言」の下、限りない繁栄のため市民の皆さま方とともに、更に力を合わせて取り組んで参りますことを、ここにお誓い申し上げます。

戦争の犠牲となられた全ての方々のご冥福とご遺族の皆さまのご多幸を心からお祈り申し上げまして、式辞といたします。

令和4年10月6日白井市長 笠井喜久雄

白井市議会 岩田典之議長式辞

白井市議会 岩田典之議長

本日ご遺族の皆様をはじめ、関係者の皆様のご出席のもと、令和4年度白井市戦没者追悼式が執り行われるにあたり、白井市議会を代表致しまして、謹んで追悼の言葉を申し上げます。

先の大戦において、痛ましくも数多くの方々が国の内外で国難に殉ぜられてから、三四半世紀を超える歳月が経過致しました。 今日、私たちが享受することのできる平和と繁栄の影には、戦争により尊い命を散らした幾多の犠牲があるということは、永遠に忘れてはならない痛恨事であります。今、静かに、平和の礎となられた戦没者の方々に哀悼の意を表するとともに、最愛の肉親を亡くされたご遺族の皆様のご心中をお察し、その長年の苦難と悲しみに対し、心からご慰労申し上げます。

世界に目を向けると、未だ紛争がやまず心痛が絶えないところですが、早期の平和を強く願うとともに、これまで先人が育んできた梨の里、白井市の、緑豊かで住みよい環境を守り伝えつつ、さらなる発展を目指し、魅力あるまちづくりの実現に向けて、力を合わせ努めてまいる所存です。

ここに、戦没者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げますとともに、本日ご列席の皆様のご健勝、ご多幸を祈念して、追悼の言葉といたします。

令和4年10月6日白井市議会議長 岩田典之

遺族代表 山﨑正夫氏より追悼のことば

遺族代表 山﨑正夫氏

本日白井市戦没者追悼式が執り行われるにあたり、遺族を代表して一言申し上げます。 戦争が終わって早や77年の歳月が経ちました。現在では戦後生まれの人が、人口の8割を超えております。 衣食住足り、自由で豊かな生活を送っている現在では、あの大戦のことが忘れられつつありますが、あの悲惨な戦争のことを決して風化させてはならないと思います。

遺族会の目的は、英霊の顕彰と平和運動と言われております。戦前のあの時代は欧米諸国による、アジアへの植民地獲得のための侵略でした。例外なく日本に対しても、無理な要求や経済封鎖をしてきました。そのとき我が国は戦う道を選んだのでした。 始めは優勢だった戦況のようですが、戦争が長引き、物資等の不足で敗戦し、200万人以上の戦死者を出した戦争の結果は悲惨なものでした。日本は世界で唯一の被爆国として、核兵器の恐ろしさを知らせ、人類を破滅させる核兵器の廃絶を世界に強く訴えていかなければならないと思います。

私たちは過去を忘れず、平和のありがたさ、戦争の悲惨さを知らせていきたいと思います。 英霊の皆様にはお見守りいただきますよう、日本国郷土の発展にお力添えくださいますようお願い申し上げます。結びに、本日ご来席の皆様のご健勝とご多幸を祈念して追悼の言葉といたします。

令和4年10月6日遺族代表 山﨑正夫

笠井市長より献花

山下副市長より献花

白井市笠井市長、山下副市長、白井市議会岩田議長を始め、市自治会連合会長、市社会福祉協議会長、市議会議員

市遺族会、ご遺族の方々の献花

白井市遺族会長 石田信昭氏より遺族代表謝辞

白井市遺族会長 石田信昭氏

本日秋が感じられる中、白井市主催の戦没者追悼式が行われるにあたり、笠井市長はじめ、岩田市議会議長、そして市議会議員各位、ご遺族関係者の皆様、各種団体個人の皆様のご列席を賜り、厳粛のうち執り行われるにあたり、白井市遺族会を代表致しましてご挨拶を申し上げます。

昭和20年の終戦から早いもので戦後77年が過ぎようとしております。私は戦後まもなくの生まれであり、小学校、中学校の頃は自宅裏の防空壕で遊んだり、近くの下総基地にはまだアメリカ軍が駐留をしていましたが、いわゆる戦争を知らない世代であります。

思い起こせば我が家では親の兄弟が四人おり、その中でこれから将来我が家の大黒柱となる唯一、男性一人の長男が戦地へと招集され、フィリピンのルソン島で激戦の末、帰らぬ人となってしまいました。日本への帰国が叶わなかった、それぞれの兵士にとって遠く離れた異国から、祖国日本のふるさとの風景や最愛なる家族を思った時にどんなに辛かったか胸中を察します。

この事を思い起こした時に我が子とを重ね合わせると親として、家族としてどれだけ辛かったか今でもその心痛は計り知れないものであり、これだけ長い年月が経った今でも目頭が熱くなります。

現在ウクライナではロシアの侵攻により、双方に多くの尊い犠牲者が出ており、違法な手段で領土を占領したとしても平穏だった日常の生活破壊、再建の道筋のことを考えると、何のための戦争なのか、そこに大義はあるのか、その代償は計り知れないと考えます。

多くの国民の間で、あの悲惨な戦争を伝えてゆく機会は年々減ってきております。 家族構成も大家族の時代から様変わりし、昔の話が伝わりにくい環境になってきています。

本日の追悼式のこの機会に改めて2度と起こしてはならない残酷な戦争を今1度心に刻み、未来永劫伝えていくことが私たちの使命です。 結びになりますが祖国日本の為に大切な命を捧げ、現在の日本国の礎となったひとりひとりの御霊に対し、衷心より安寧をきれいするとともに市主催の戦没者追悼式の開催に対して、感謝を申し上げて挨拶に代えさせていただきます。

令和4年10月6日白井市遺族会長 石田信昭

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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