白井市の事業を紹介します
白井市中学生平和使節団13名が、2025年8月6日に被爆地広島市で開催された平和記念式典に参加しました。
参加証を持って撮影しました。


それぞれの想いをまとめたレポートは、参加者の学びの記録として価値あるものとなり、11月30日の「まちボラひろば2025」(外部リンク)で展示されます。
品川駅で朝の会を行い、事前学習会で顔を合わせていたこともあり、和やかな雰囲気で広島に向けて出発しました。
広島駅に到着。
原爆ドームのもとの建物は、チェコ人の建築家ヤン・レツルの設計により、大正4年(1915年)広島県物産陳列館として完成しました。建物はれんが造りの3階建てで、正面中央部分は5階建ての階段室、その上に楕円形のドームが載せられていました。
物産陳列館は、県内の物産の展示や即売、商工業に関する調査・相談などの業務を行っており、美術展や博覧会などの文化事業の会場としても利用されました。
その後、広島県立商品陳列所、広島県産業奨励館と改称し、戦争末期の昭和19年(1944年)からは内務省中国四国土木出張所、広島県地方木材株式会社など官公庁等の事務所として使用されました。
出典:広島市ホームページ
路面電車で原爆ドームへ向かいます。車窓から見る広島のまちなみをゆっくりと眺めるのにぴったりでした。
ここから2班に分かれてガイドさんの話を聞きながら、広島平和記念公園周辺を見学します。
爆心地に到着。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、この真上に原爆が投下され、多くの人々の命が奪われたことに思いを馳せました。
動員学徒慰霊塔に到着しました。自分と同じ年の生徒が体験したことが、決して他人事には思えず、子どもたちはタブレットで写真を撮りながら、説明内容や感じたことを熱心に記録しました。
平和の女神像と8羽のハトを配した高さ12mの有田焼の陶板仕上げで、末広がりの5層の塔の中心柱に慰霊の灯明がついています。塔の左右にある4枚のレリーフは「食糧増産作業」「女子生徒の縫製作業」「工場内での鉄工作業」「広島の灯ろう流し」を表し、その裏に全国戦没学徒出身校351校の校名と動員学徒悼歌 “ほのお果てては” が記されています。
【学徒動員】
政府は労働力の不足を補うため、1944(昭和19)年8月に学徒勤労令を発し、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労奉仕が強制されました。また、11月には、空襲による延焼を防ぐため、民家などの建物を取り壊し防火地帯をつくる建物疎開作業にも、多くの生徒が動員されました。広島市内でも被爆当日、市内で建物疎開作業を行っていた国民学校高等科以上の8,200人以上の生徒のうち、約6,300人が犠牲となりました。その他に市内の各事業所に出ていた多くの学徒も犠牲者となりました。
出典:広島市ホームページ
動員学徒慰霊塔では、原爆投下時に建物疎開作業を行って被爆死した同年代の学徒の話を聞き、みんなの表情が引き締まりました。塔やレリーフを間近で見つめ、平和な世界に感謝の気持ちを抱きました。
「原爆の子の像」は、年間を通じて、たくさんの千羽鶴が捧げられていることから、別称「千羽鶴の塔」とも呼ばれています。
像の高さは9メートルで、その頂上には折り鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が立ち、平和な未来への夢を託しています。側面左右の二体は少年と少女と明るい希望を象徴しています。
像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。
塔の内部には、少年少女たちの気持に感動したノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られた銅鐸を模した鐘がつられ、その下に金色の鶴がつるされ、風鈴式に音がでるようになっています。
この「原爆の子の像」の周辺には、折り鶴を捧げていただけるよう折り鶴ブースが設置されています。
出典:広島市ホームページ
原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、昭和20年(1945年)8月6日、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を平和都市として再建することを念願して設立したもので、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。
中央の石室には原爆死没者名簿が納められており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。
この碑文は、すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であり、過去の悲しみに耐え、憎しみを乗り越えて、全人類の共存と繁栄を願い、真の世界平和の実現を祈念する「ヒロシマの心」が刻まれているものです。
出典:広島市ホームページ
原爆死没者慰霊碑は、平和記念公園敷地内の広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されています。屋根の部分が「はにわの家型」に設計されているのは、犠牲者の霊を雨露から守りたいという思いがあるなどの話を聞いて頷いていました。

公園内には至るところに記念碑が設置されています。
平和使節団の皆さんは、その由来など解説を真剣に読み取り自分のものにしようとしていました。
広島平和記念資料館を見学しました。
一日目の最後には、広島平和記念資料館を個人のペースで見学しました。音声ガイドを使い、学んだことを自分の言葉で記録しました。滞在する3日間、その日の学びはA4で1枚のレポートにまとめます。
爆心地より1.5km圏内にあった当時の広島城は壊滅的な被害を受けました。
広島護国神社(外部リンク)
史跡広島城跡を訪れ、爆心地から1.5km圏内で受けた被害の跡を学びました。再建された建物や被爆痕跡をたどりながら、当時の広島の状況を深く知りました。
本川小学校平和資料館では、爆心地からわずか410mの距離で多くの児童や先生方が亡くなったことを学びました。コンクリートの壁には今も当時の痕跡が残っており、タブレットやスマートフォンで記録写真を撮る姿が見られました。

当時の広島を再現した模型を見学。爆心地と被害の関係(赤丸が爆発点)など、どうして広島に原爆が投下されることになったのか、真剣に考えるからこそ様々な質問が出てきます。
ここに立ち、何を感じますか。この地で暮らす人々が感じる広島。はじめてこの地を訪れた人々が感じる広島。それぞれが感じる、広島の姿があります。
心地よい瀬戸内の風を受けながら、各々が抱く未来への想い、広島への想い。
ここでしか見られない「景色」がある。
ここでしか感じられない「想い」がある。
広島の過去と現在、未来を一同に望むことができる唯一無二の空間、それがおりづるタワーです。
午後にはおりづるタワーを訪れ、広島市内を一望した後、皆で折り鶴を折り、平和への想いを形にしました。
みんなの平和への想い。
みんなで一つ一つ想いを込め、折り鶴を折っていました。

ANAクラウンプラザホテル会場には全国から13市町が参加しました。ここにいる一人ひとりが、世界平和を約束する、未来の平和を守ることを誓った皆さんです。

原爆被害の概要説明や被爆体験証言を傍聴している、全国から集った平和使節団の皆さん。いつもの中学生ではありません。皆さんが地元の代表として参列していました。
全国から集まった中学生・高校生と共に、平和学習会に参加。被爆体験の概要説明や体験証言を聞き、グループで事前学習の資料をタブレットで確認しながらディスカッションしました。

主催者によるプロモーションビデオ作成のため全国から約300名以上が参加する中、
数名が選抜されました。ここに白井市平和使節団員も選ばれメディア取材を受けました!
最終日は早朝に平和記念公園へ向かい、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参加しました。式典には史上最多の約5万5000人が参列しました。

特に子ども代表のスピーチが印象に残った団員が多くいました。式典後は、班ごとに感じたことを話し合いました。
原爆当時の記憶を聞き取り、その内容を絵にした作品の展示会。詳しい作品の背景を作者が語ってくれました。多くの外国人のために、英訳するための人もいました。
高校生が描いた原爆の絵画展を鑑賞し、作品の背景を作者から直接聞くことができました。
VR体験では、原爆投下前後の学校の様子を360度映像で体感し、強烈な体験を共有しました。
NHKヒロシマ放送局による「被爆体験継承プロジェクト」。被爆者梶本さんの映像に質問をするとその回答が返ってくる体験です。原爆を生き抜いてきた梶本さんの回答から平和への想い、大切さを実感しました。
一部の班では、広島県立美術館などで戦争や平和に関する展示も見学しました。
班別行動でオブザーバーとして参加しました。
於:広島国際会議場
被爆体験講話や被爆体験記朗読等を聞きました。
第2部「平和のバトンをつないでいこう」
全国各市町の子ども達の平和への取組みの紹介がありました。
お世話になった、ホテルの担当の方へ皆でお礼をしました。お世話になり、ありがとうございました!
帰りの新幹線では、最終日のまとめとしてレポートを作成中です。3日間の学びを一つひとつ丁寧に記録しました。
作成したレポートを何度も見返して、伝わりにくい文章になってないか真剣に確認しました。
怒涛の如く頭に入ってきた情報を寝ることで整理しているんです。少しだけ寝させてください。
8月6日、被爆地・広島市で開かれた「全国平和学習の集い in 広島」に参加した、平和使節団が口をそろえて語ったのは、「戦争を他人事にしないでほしい」という強い思いです。資料館で見た被爆の実相やVR体験で感じた“突然大切な人を失う痛み”は、教科書の文字だけでは決して伝わらない重さがあったと聞きました。
式典や現地での学びを通して、「平和は戦争だけの問題ではなく、日々の人との関わり方にもつながっている」と気づいた団員もいました。また、全国から集まった同世代との交流を通じて、多様な意見に触れたことで「もっと多くの人と意見を交わし、自分の考えを自信を持って発信したい」という前向きな変化も生まれています。
「今回得た気づきを、これから出会う人や未来の社会に伝えていきたい」
広島で感じ、考えた想いは、確実に次の世代へとつながる“平和への一歩”になっていました。
【最後に】7月17日に白井市中学生平和使節団結団式が行われてから団員の皆さんは、さまざまな行事に参加し、平和への学びを3日間で集約してこられました。今回の取材では、皆さんから学ぶことばかりでした。
アイデア力、創造力、着想力、構想力、企画力、独創性、柔軟な思考力ーこれらから発せられる一言一言に感心させられ、理解力の速さには驚くばかりでした。取材の機会をいただき、ありがとうございました。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。