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令和6年能登半島地震被災地支援に赴いた市職員(三次隊)にインタビュー

石川県珠洲市正院地区にある旧飯塚保育所避難所の現状と、被災地支援に参加し感じられた想いをお聞きました。

支援に赴いた職員が任期満了後、市長に帰庁報告

(左から)笠井市長、浦尾さん(精神保健福祉士)、山下副市長

令和6年能登半島地震により甚大な被害を受けた石川県珠洲市への支援要請が千葉県からあり、白井市からは第三次(5人目)となる職員が3月22日から26日まで派遣されました。

被災地支援に立候補した、浦尾さん(精神保健福祉士)にお聞きしました

Q:どこの地域を担当されたのですか?

 

珠洲市正院地区の旧飯塚保育所避難所に入りました。10年以上前に閉鎖した施設で、その後アートフェスを開催するなど公会堂のような役割をしていた施設だそうです。その事もあって広いスペースが、ある程度確保された指定避難所でした。

 

自主運営する避難所として十分機能していて、地区の区長さんが避難所を管理し、珠洲市やボランティア等の窓口となっていました。

 

私たちが行く前にも、千葉県派遣の職員が常駐しながら4日ずつ交代を繰り返していましたが、避難所への千葉県の派遣は3月末で終了が決まっているという、心苦しい状況でした。

 

避難所では来訪者の一次対応や、自衛隊の給水手伝い、ボランティアさんの炊き出し支援、食事ごとの配膳の支援や片付けなど、あくまで補助的な業務ですが、区長さんや運営に携わる避難者の方と一緒に行いました。

1月は相当な混乱があったと聞きましたが、私が派遣された時期には誰がリーダーで副リーダーは誰で、何かあった場合どうするか、だいたいのルールができている環境で驚きました。

 

私が行った時には、28人の方が避難されていましたが、ご自宅の片付けが終わり、帰宅できた方もいました。

 

Q:被災地の道路、水道、ガス、電気の復旧はどうでしたか?

 

電気は復旧した後で困ることはありませんでした。ただ上下水道が使えないことが大きく、半壊の自宅に住めなくはないけれど、入浴も調理もできないような状況でした。ご自宅で暮らしながら、ご飯だけ避難所に食べに来られる方もいました。

 

旧飯塚保育所は田んぼや畑がある地域で、周囲に広い道路が通っていますが、大きくひび割れしてしまっていました。砂利で埋めて通行できるようにされているものの、普通のスピードでもパンクしてしまいそうな穴や段差があちこちにありました。

 

一日の支援が終わって、19時前に宿泊所に自動車で帰るのですが、周囲は真っ暗で怖かったですね。

極限状態の避難所開設当初

Q:生活環境ではどういったことに困っておられましたか?

 

住み慣れた自宅で生活できないのはもちろんですが、区長さんは「自宅は住めない状況ではないので家に帰って生活したいけれど、避難所の運営もしなければならないことが難しい」と言っておられました。私たちがいる昼間に避難所から帰宅して「自宅の片付けに帰ることができるようになってよかった」と仰ってくださいました。

 

避難所開設当初、ありとあらゆることで区長さんに問い合わせが来ていたそうです。避難所開設時120人の方が避難して来られたそうですが、本来避難所としての想定は15人なんです。あまりの目まぐるしさに区長さんが倒れてしまうんじゃないかと、奥さまが心配していたそうです。

 

・避難所で役割をどう決めるのか

・寒さをどうしのぐのか

・怪我人に誰がつくのか

・物資は、どう分配するのか

など、当初は極限状態の最中で、色々なことが想定外すぎて、ゆっくり何かを考えることもできなかったと思います。

「すごく大変だったことを聞いてほしい。それを伝えて欲しい!」

避難所の皆さんは申し訳ない程に、私たちをとても優しく温かく迎え入れてくださいました。初日に「また次の千葉県の人が来たのね!」といった感じで、気さくに話してくださいました。炊き出しや朝・夜のお弁当も一緒に食べさせていただきました。夜も「もう今日は帰っていいよ」と言ってくださって、次の日に避難所に行くと、朝食をまた一緒にとるという感じです。食事をとりながら、片付けをしながら、避難所の方のお話を聞きました。

辛い話はあまりしたくないのでは、と私から当時のことは聞きにくかったのですが、「震災発生直後のすごく大変だったことを聞いてほしい。聞いて、それを伝えて欲しい」と、色々な方がそれぞれの1月から現在までの大変だった時のことを話してくださいました。

 

一気に120人が詰めてどれだけ大変だったか、屋根が落ちて亡くなった方がいたこと、津波から逃げ山に登ろうとして怪我した人がいること、救急車を呼んでもなかなか来なかったこと、想定外の状況がたくさん起こったことを話してくださいました。

 

お母さま方が避難所で作った手芸のキーホルダーやかご、お手紙をいただき、支援に行ったはずが励まされた気持ちで帰ってきました。

Q:防災マニュアルがあったとしたら、その場で役に立ちますか?

 

発災後、即座にマニュアル通りは難しいと思います。でも、マニュアルを作っておくこと、可能な限り想像・想定するのはすごく大事だと思うんですよね。ただ、マニュアルがあったほうが良いことは間違いないですが、想定通りにならないことも含めて想定するべきと思います。

 

マニュアル通りにいくこと、いかないことを比較すれば、恐らく2:8位で「いかないこと」の方が多いと思います。その時の最善策を決めても、次の日また変わることもあります。「ゴミ箱はここにしましょう」ってその日決めて、やっぱりここは通路になるから別の場所にするとか、そういう細かいところから柔軟に、避難所の人たち同士で相談しながらやっていくものだと思いますので、みんなが「想定通りにはいかないものだ、そういうものだ」って思っていれば、負担は少ないと思うんです。

「助け合うことになるかも」という事前認識が共有できるといいと思います

Q:障害福祉課職員の観点から避難所運営にあたって必要なことは何ですか?

 

建物構造的に、例えば、ユニバーサルデザインはあった方が良いです。ですが構造の問題は急に変えられるものではありません。旧飯塚保育所では当初、高齢者の方が何人かいらして、近くにいた方が毎回付き添ってトイレに行かれたそうです。介護の知識などがなくても、最初はそこにいる方々で何とか支援してもらう状況はやむを得ないことだと感じました。

 

障がいやご病気のある方、高齢者など助けが必要な人も避難していますから、その場にいる方々でなんとか協力して支援できる部分は、してもらわざるを得ないと思います。「そういったこともありえるんだ」と思いながら介護するのと、「何でこんな思いをしなきゃいけないんだ」って思いながらでは大分違うと思うんですよね。日頃からこの地区には、これぐらいの障がいの方や高齢の方がいて、いざという時には支援が必要だな、という「共通認識」があったら違うと思います。

 

施設設備が整っていることもそうですが、結局そこで過ごしていくのは「人」なので「いざという時は助け合うことになるかも」という事前認識が共有できているといいと思います。

 

避難訓練も同じで「避難に時間がかかる方がいる」ことが当たり前になるといいと思うんです。障がいがあって支援が必要な方がいるのが当たり前の想定で「じゃあどうする?」と、障がいのある方の意見も取り入れた訓練ができるといいなと思います。

 

避難所の方同士でいつまでも支援を続けてくださいということではありません。対応できるようになれば福祉避難所もありますし、次の生活の目処が立つまで、本当に大変な時だけでも助け合えるといいと思います。

情報が行き届くかどうかが、とても大事

Q:白井市も災害対策について取組みを進めていますが、経験から何が必要だと思いますか?

 

そうですね。市と市民との間で、情報が行き届くかどうかがとても大事だと思ったんです。

 

現地で別の避難所の方にお話を聞く機会があり、感じたことですが、そこは避難所として登録されておらず、広い福祉事業所に近隣の方が集まってできた自主的な避難所でした。初め避難所になっていることを行政は把握しておらず、避難所の方も届け出て支援を受けられる情報が行き届かず、しばらくボランティアさんや避難している人達の持ち寄り物資で暮らしていたそうです。

 

その事業所の方は市に登録を申し出ることができることを「知らなかったんですよ」って仰っていました。必死で毎日を過ごされている中で、届け出をする余裕も発想もなかったのだと思います。「指定避難所として認定できる」という情報がどうすれば行き渡ったのかを考えましたね。

 

避難所にも道の駅にも、お店にも「こういった支援が必要な人はここに連絡したらいいですよ」といったポスターは、すごくいっぱい貼ってあるんです。

 

でも、そこから情報を得ることが、支援が必要な人には難しいことがあるので、どうすればタイムリーに必要な情報が行き渡るのかは、考えなければいけない課題だと思います。

Q:市民の皆さん、市職員の皆さんにお伝えしたいことは何ですか?

 

自分と自分の家族が無事であるとは限らないので、無事でいるための対策や無事ではなかったときのことも想定してみてほしいです。だからこそ枕元に靴を置く、歩いて市役所や避難所に行く道のルートをいくつか把握しておくことなど本気で考えてもらえるといいのかなと思います。

 

先日の職員報告会の時に、先発支援に行かれた方は「市職員であるからには、自分や家族が大変だったとしても、それでも業務を行うつもりで参集をする意識を持ってほしい」と伝えてくれました。

 

災害発生時に大変なのは皆同じです。そこから我々市職員は、更に市民の皆さんの支援をしなければいけないという認識を持ちました。現地の支援に行かせていただけたことで、より現実的な視点で災害対策を考えるようになりました。

 

浦尾さん、ありがとうございました。

 

取材日:2024年4月9日

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。