しろいふるさと大使
この白井がまだ村だった頃、町になり市になってふるさと白井が発展していく姿を知り尽くし、自らも時代の流れと共に築き上げてこられた、民謡歌手のしろいふるさと大使 大杉一男さんを取材させて頂きました。
キングレコード歌手 ふるさと歌手 大杉一男さん
趣味:植木、山草盆栽、ドライブ
代表曲:「女の終着駅」、「おやじの涙」、「みちのく祭り囃子」、「そよ風とともに(パークゴルフ賛歌)」(出典:Yume Recordsホームページ)
1977年:民謡歌手、外崎※繁栄「とのさき しげえい」に師事し、民謡、三味線を学ぶ。
1996年:「ハチのムサシは死んだのさ」でおなじみ故・平田隆夫の作曲指導を受け、「女の終着駅」コロムビアレコードよりデビュー。(出典:Yume Records ホームページ)※「さき」の字は、正しくはたつさき。
Q:今のみなさんに聞いてもらいたい曲名を教えてください。
『神々廻恋歌(ししばこいうた)作詞:吉野 基、作曲・編曲:石田弘之』です。これを唄うきっかけは、いつもお世話になっている吉野基先生が、この神々廻という地名を気に入られて作詞して頂きました。
「白井の神々廻」にして欲しいとも相談したのですが「いや、このシシバだけが良いんだ」って言ってくださいまして、確かにこのタイトルに対してインパクトあるみたいですよ。
「これ、なんて読むんだ?」って(笑)。
Q:生まれも育ちも白井市なんですね。
はい。白井を出た事はないです。先祖代々この地で続く家柄で、私は四代目になります。白井第一小学校を卒業して、白井村立白井中学校に通いました。
当時中学校は白井中学校1校だけで、小学校は2・3校分校があったのですが、各小学校から白井中学校に通っていました。
白井村から白井町に変わった頃は、昔から住み続けている地元住民しかおらず、他市から移住される方もいない、のどかで風光明媚でいい意味で典型的な田舎っていう感じでした。
Q:子供の頃はどんな子でしたか?
世間一般的な野山を駆けずり回って遊んだタイプですよ(笑)。お金使って遊ぶところはないですから、木登りとか、川で魚とりですね。小学校、中学校当時の頃スポーツと言えば、特に決まってはいなかったですが、少しずつ野球を始める友人が増えていきました。私もグローブだけは小学生の頃に買ってもらった記憶があります。当時は稲刈りの終わった田んぼで遊んだり、空き地をグランド替わりにして、1塁2塁3塁ベースの場所をみんなで決めてよくやりました。私は下手くそでね、ボールがとれない(笑)。
Q:この辺りの住所は表示は昔と現在と違ったんですか?
現在は「木」と表示している住所も、私が生まれたばかりの頃は「所沢」という地名だったんです。今でも所沢を使ってる人もいますが、郵便物等の場合には「木」になってますね。白井には「平塚」もありますから、とてもユニークな地域ですよ。
白井村の当時は、この木地区で確か70所帯ぐらいあったと思います。私の同級生は15人以上いました。当時の友人は現在でも何名かこの地区に住み続け、今でもお付き合いしています。
40代後半にデビューしました。先生の教えの通り自身の一つの「看板」としてデビューしました。今思い返しても「やっていてよかった」と思います。
色々な大会に出場しましたが、チバテレビの番組で出場したときは、副賞として相撲力士がするような「手形」を作って頂きました。会場には手形屋さんが、そばに来てるんですよ。優勝した人だけがその場で手形を押して、その場で作ってくれたんです。私の時で終わってしまいました。その他にもNHKの民謡大会やのど自慢番組にも出場して何度か優勝しました。1991年に終了しましたが、TBSテレビと一部の系列局で生放送されていた歌謡バラエティ番組の『街かどテレビ11:00』(まちかどテレビいちいちまるまる)にも出場して優勝しました。今はもうありませんが、茨城では「山水カラオケ道場」でも二回優勝しました。この大会の審査員がとても著名な3名の故中山大三郎氏、故曽根幸明氏、畠山みどり氏が審査員だったんです。
Q:デビュー曲を教えてください。
1996年に「女の終着駅」でコロムビアレコードよりデビューしました。作詞は白井出身の方で故:鈴木まさよし氏の作詞です。作曲は若い頃レコード会社でディレクターみたいな事をされていた方で「ハチのムサシは死んだのさ」や「悪魔がにくい」を作曲された平田隆夫先生です。
Q:歌手の世界に入るきっかけを教えてください。
私の友人に秋田県生まれで民謡の上手い方がいたんです。その方から「歌の稽古に行ってみないか」とお誘いを受け、船橋市にお住まいだった、外崎 繁栄(とのさき しげえい)先生のところに、20代半ば頃に稽古に行ったんです。
歌が好きで一生懸命稽古していましたが、外崎先生が言うには「今すぐじゃなくてもいいから、自分の看板を持っておけ」と、先々の稼ぎになるよと教えて頂き、それからずっと継続していました。
元々歌が好きで20歳代からカラオケ大会や民謡大会に出場し始め、素人時代にも盆踊りでも歌っていましたし、カラオケ大会には軒並み出場しましたよ。出場する度に入賞できていたので「まぁ、上手い方なのかな」って思っていました(笑)。
中でも大きな大会は民謡千葉県大会で、青年部・中年部・高年部などのクラスに分かれていて延べ1000名位が出場する大会で3日間かかっていました。選りすぐられた一番レベルの高い歌手が競うクラスに出場して、初出場で3位入賞しました。この大会では当時師事していた、外崎繁栄先生の門下生がベスト10の中に4名も入賞しました。
Q:20歳代とか30歳代の頃には、どんなことをされていたのですか?
20歳代半ばすぎから、自宅で採れた野菜や市場で仕入れてきたもので行商を30歳半ばまでしていました。当時は中山競馬場白井分場があった頃で、唯一の出入り業者として厩舎へ行商をしていました。
その後当時は貴重なマスターテープを使用したビデオレンタル店を経営するようになり、あっというまに5店舗に広がり25年程経営をしていました。
最初の店舗は流山市にある江戸川台駅の前から始まり、野田市に2店舗目をオープンしました。一つの大きい都市に一店舗としていこうと3号店を津田沼、4号店が船橋、5号店は安食駅前にオープンさせました。10数人の仲間で一緒に運営するようになり、一時期は50店舗以上ありましたね。今でも付き合いの絶えない大切な仲間達です。「人の繋がり」「人との縁」は大切にしないといけません。
Q:民謡など歌が上手くなりたい方はどうすればいいでしょうか?
やっぱり歌も基本的にまず姿勢を正して、口を正しく開けることが必要です。口をしっかり開けて、高い声も低い声もはっきり出す。あとは伴奏などの音をよく聞いてリズムが外れないように。「詩をよく読んで噛みしめて物語を作りなさい。」とは言うのですが、最近はみなさんカラオケでみんな覚えちゃうんですね。
私のところでレッスンしてる人には、そういうところも見てお稽古させて頂いています。
Q:白井市の皆さんにメッセージをお願いします。
しろいふるさと大使ライブが開催されましたら、ぜひ皆さん足を運んで頂きたいです。白井の皆さんと一緒に楽しみたいです。
“カラオケアカデミー”では歌謡曲・民謡・三味線等の稽古も開催しています。稽古場は何ヵ所かありますが、自宅の2階でも開催しています。窓を開けっ放しでやってます(笑)。窓の外を見ながら歌うと気持ち良くなりますね。歌が上手くなりたい方はぜひお待ちしてます。
近くでは、6月12日白井市文化会館でカラオケ大会を込めて歌謡祭やります!ぜひお越しください。
Q:白井市の子供たちへメッセージをお願いします。
白井市には自然がたくさんあります。この自然が豊かな楽しい白井で元気に成長してください!
謝意:しろいふるさと大使の大杉一男さんは、とても気さくな中にとても大きくて頑丈な柱を感じられる素晴らしい人格をお持ちでした。インタビューでは、とても楽しく笑いの絶えないメッセージをたくさん頂きました。今回大杉一男さんにもお会いさせて頂き、取材をさせて頂きました事改めて御礼申し上げます。
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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