しろいふるさと大使
私の好きな言葉は「質実剛健」。基本は感謝の念です。 質素でまじめでどんなことにもくじけない!
1996年に「伯方の塩」のイメージキャラクターとしてコマーシャルに出演、その他様々な舞台やテレビ・ラジオなどに出演し、幅広く活躍される「しろいふるさと大使」歌手の髙城靖雄さんを直撃取材しました!
和蔵酒造イメージソング「酒と」(YouTubeにリンク)
作詞:美樹克彦 作曲:岡 千秋 編曲:斉藤 功
是非お聴きください!
髙城白さんは岩手県九戸郡洋野町(旧種市町)出身の1958年生まれ、白井市にお住まいです。
髙城靖雄 歌手活動
1981年 千葉商科大学 経済学部卒業。大学在学中から歌手を志し、卒業と同時に歌手の道に入る。森昌子のコンサートのゲスト歌手になる。
その後、大ヒットメーカーの荒木とよひさ氏との出会いがあり、一番弟子となる。1987年 「日本海'88」(作詞:荒木とよひさ、作曲:吉幾三)で「水原達矢」の芸名でキングレコードよりメジャーデビュー。その年「新宿音楽祭新人賞」受賞。
1988年 「全日本有線放送新人賞受賞」上半期、下半期2度受賞。
1991年 「NHK新人歌謡コンテスト」入賞。
1995年 芸名を髙城靖雄に戻す。テレビコマーシャルの「クール宅急便」で、歌手の吉幾三さんと共に出演。
1996年 「伯方の塩」イメージキャラクターとして、全国ネットのコマーシャルに出演。
「髙城靖雄オフィシャルサイト」より
小学生の頃に大川栄策さんが町に来たんです。当時は大川栄策さんの事は知らなかったんですが、公民館で「目ン無い千鳥」を歌われたんです。観客の紙テープの嵐と「キャーッ!」という声を聞いて芸能人ってすごいなぁ、初めて見る芸能人だったし本当にすごかったですね。
中学になって同い年の森昌子さんがスター誕生に出てきたんですよ。グランドチャンピオンになって歌手デビューしてすごいなぁ、私と同い年でこんなに有名になる人がいるんだなって。この人に会ってみたいと思ったことがきっかけでしたね。そして故郷の先輩新沼謙治さん、私より2つ上なんだけど、新沼謙治さんもスター誕生で出てきたんです。この人たちすごいなぁと思ったのがまず最初でした。岩手にいる頃から憧れてましたよ。
高校生になって「目ン無い千鳥」も好きだったんだけど「路傍の花」がいい歌だなと、一生懸命に覚えたましたね。修学旅行の時、バスの中で大川栄策さんの「路傍の花」をワンフレーズ歌ったら、皆にビックリされてアンコールされたんですね。五木ひろしさんが流行ってて「旅鴉(たびがらす)」「横浜たそがれ」を歌いました。その後3年生を送る会で一発芸をやることになったんですよ。お盆を三度笠にして「旅鴉(たびがらす)」を歌うと大喝采を受けたんですよ。あの歓声は忘れられませんでした。それから「種市高校の五木ひろし」ってあだ名がついたんです。この頃から歌手に憧れましたね。
当時市川で看護師をしていた姉が千葉商科大学を勧めてくれました。千葉商科大学には推薦制度があって「応援団長、その他の観点から推薦枠に入れるかもしれない。」とにかく勉強を頑張れと先生に言われたんです。今まで勉強なんてしたことがなかったけども、やると少しずつ成績が上がってきたんです。理系科目は難しいけど、文系はすぐに結果が出、勉強・応援団長と頑張り、おかげさまで推薦枠で千葉商科大学に入学できました。
大学に入り色んなバイトをし、色んな体験をし4年間過ごそうと思っていました。仕送りは期待できず全部自分で都合するしかなかったですよ。
5人兄弟で家は貧しかったしね。正直言って半農半漁で本当に貧しかった。大学に入れるという雰囲気ではなかったんです。
大学に入学してからは、アルバイトと奨学金で何とかやっていました。すると逆にお金が貯まったんですよ。いろんなバイトをしましたね。
ある時バイトをしていたパブで、カラオケ大会があったんです。景品は自転車だったんですね。初めて出たのに簡単に優勝したんです。優勝して面白いなと思ったし、賞金が貰えたし自転車も貰えた。カラオケでこんなに貰えるのなら最高だな!それからは、のど自慢大会荒らし。(笑)
いろんな大会に出場してほとんど優勝しましたよ。一番大きかったのが、青森の八戸であった「オーディオフェスティバル」というカラオケ大会ですね。
姉の嫁ぎ先八戸で開かれた大会で、たくさんの人数の中から予選でどんどん勝ち残って、最後の10名まで残り見事優勝しました。その時のゲストが「霧にむせぶ夜」の歌で有名な黒木憲さんでした。
その時に頂いた景品がカラーテレビだったんですけど、姉が「申し込んだのは私だからカラーテレビは私がいただくわね!」って言うから、「良いよ!」ってあげたんですけどね。(笑)
カラオケ大会があったパブのマスターに「本当に歌手になりたい気持ちはあるの?」って聞かれて「ありますよ!」っていう話から、縁があって古賀政男先生の代稽古をされていた川上八郎先生にお会いすることになったんです。そしてその時歌ったのが「旅鴉」です。
歌い終わるとニコっと笑って「歌は下手じゃない、だけど五木ひろしの真似をしてる。バイブレーションを付けすぎ!」と言われました。バイブレーションつけるのは「五木ひろし」だから良い。若い頃からバイブレーションでごまかす癖をつけてはいけない。いわゆる母音をしっかり出す発声を、じっくりと先生に教わった。そこから一年半、主に発声だけを学んだ。
1981年、髙城やすおでデビュー。1987年に水原達矢の芸名でメジャーデビューし、1995年芸名を本名の髙城靖雄に戻して今年で41年目になります。
「氷雨」を作った、とまりれん先生の作詞作曲で千葉商科大学在学中に歌手デビューしたんです。千葉商科大学の卒業式が終わり、その後デビュー曲「死ねるわあたし」「あんちきしょう」を歌い、歌手としての第一歩を踏み出しました。以来、千葉商科大学の卒業式で校歌を歌わせて頂いています。
もっとすごかったのは、私の念願だった東京ドームで約3万5千人の前で国歌斉唱したんですよ!
その話がきたとき、「笑っていいとも!」に出演させて頂いた時もそうだったんですが、担当者から直接電話がきたんですね。「うそでしょ!」って。伯方の塩で是非お願いしたいっていう連絡で。でもね、最初はドッキリだと思ったんですよ(笑)。
「笑っていいとも!」に出演した時は、新宿アルタで観客が100名入るんですよ。女の子ばかり(笑)。「伯方の塩っ!」ってやったら、キャーって演歌にはないノリ(笑)。
その後スタジオからの帰り、携帯電話には200件以上、そして事務所の電話は鳴りっぱなしで怖かったね。メールも何百件も一気に来て、同級生とか田舎の親せき、そして面識のない方からもたくさん来ました。「笑っていいとも」ってすごいですね(笑)。
不死鳥と呼ばれた、あの美空びばりさんが東京ドームでコンサートをしました。「私もいつの日か東京ドームで歌ってみたい」と思っていた。それが叶ったのです。思い念ずれば叶う。願わないと叶わない。
人との出会いは最高。紅白以上のもの。
私は大学時代から、素晴らしい方々と巡り合ってきました。私のオリジナル曲は全部有名な先生、超一流の先生に作って頂きました。夢の一つ、紅白にまだ出場できませんが、これまでの人との出会いは、紅白出演以上のものがあります。
40年前、白井町庁舎が出来た年に白井に初めて来ました。当時ミスコンテストがあって、ゲストが私でした。その時、見事初代ミスに輝いたのが女房。当時銀座のクッキングスクールで料理の先生をしていたんです。以来、43年の付き合いで、現在は3人の子供に恵まれました。その一人が新浜レオン。最近NHKのテレビ番組で、しろいの梨を宣伝してましたね。
今から11年前の3・11の日、一番の気がかりは、ふるさと岩手と連絡が付かないこと。車も電車のダメ、飛行機しかなかった。三沢空港から行けるけど予約が取れない。青森空港しかなかったんです。とにかく一人で空港に向かって、朝から並んで一席キャンセルが出たんです。3時か4時に着いたときにようやく姉と連絡がついたんです。いつもは私が好きな叔父が、三沢空港まで迎えに来てくれてたんです。でも「行きたいけどガソリンがない。八戸までだったら行けるから」って言うんでバスで八戸まで行きました。最初に八戸港で見た光景にびっくり。大きい船がゴロンゴロンと転がり・・・。姉の家に着いたら恐々に姉がこう言った。「波が家の前まで来たけど、浸水せずに無事だった。先祖が守ってくれた・・・靖雄。」
次の朝方、当時の水上町長を訪ね、「よくぞ、靖雄さん来てくれた!」と歓迎してくれました。しかし庁舎から見た種市漁港は壊滅状態。その後、久慈市、宮古と南に下がるほどめちゃめちゃでした。そして白井市に戻り、とにかく募金活動を始めました。毎朝千葉ニュータウン中央駅・白井駅・西白井駅を主に募金活動しました。この時、小・中・高生の子供たちが積極的に募金してくれたのです。
3ヶ所のふるさと大使
・しろいふるさと大使
・岩手県九戸郡洋野町のふるさと宣伝大使
・秋田県にかほ市ふるさと宣伝大使
以前、吉幾三さんが「三陸海岸」という歌を作ってくれたんです。それをずっと温めてたんですね。実は、元々「秋の海」としていた歌詞を「春の海」に歌詞を変えて「ああ・・あの日の三陸」で震災の日の歌にしようということになったんです。
ここから吉さんとの縁もどんどんと繋り、最近では「居酒屋故郷」まで4曲続けて新曲がでました。その後、和蔵酒造さんがスポンサーになって頂き、美樹克彦作詞、岡千秋作曲の「酒と」が発売されました。
この芸能の世界は、まず基本を忘れないこと。
川上先生が私に歌の基本を「母音をしっかり出す」これだけを覚えていればいいと教えて下さった。二つ目は「礼儀」上下関係ですね。それと「感謝」。今のうちの子供はいつも感謝・感謝ですよ。オリンピックでもアスリートの皆さんも周囲へ感謝されています。
私の好きな言葉は「質実剛健」。質素でまじめで、どんなことにもくじけない。そして荒木とよひさ先生が教えて下さった「一日一生」、京都の有名なお坊さんの言葉らしいですよ。今日一日を人生だと思って生きる。これが長く続いて人生だと思う。
子供3人とも白井市で生まれ白井市で育ち、女房も白井生まれの白井育ち。いろんな形でお世話になっている白井市。そして今はライオンズクラブやふるさと大使を通じて、この白井市をますます発展させるためにも文化事業、その他に積極的に取り組んでいきたいと思っております。
髙城靖雄さん、ありがとうございました。
有限会社 髙城総合企画(ホームページにリンクします)
住所:千葉県白井市根65-13
電話: 047-492-8566/FAX: 047-492-8565
謝意:しろいふるさと大使であり、歌手の髙城靖雄さんにお会いできとても貴重なお話の数々をお聞かせくださいました。とてもパワフルでユーモアたっぷり、大きく包み込んでくれるような暖かいお人柄で、気持ちの籠った一言一言。心も浄化され励まして下さいました。髙城さんの活躍をテレビでも楽しみにしています。取材させて頂きました事改めて御礼申し上げます。
取材日:2022年2月22日
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