イベント取材に行ってきました!
2025年4月12日郷土史の会、しろいふるさとガイドの会が主催、しろい環境塾が協賛し、富塚城跡や西輪寺、最後に富塚小学校跡などの史跡を徒歩で巡るイベントに参加し取材しました。
~富塚地区の環境と歴史を学ぶ~が開催されました。撮影にご協力ありがとうございました!学びながら、地区内のゴミ拾いを行い、環境美化活動も行いました。
第49回白井環境・文化講座が雨天中止となり、延期された日程で行われた快晴のこの日、富塚地区の一角に10名の皆さんが集まりました。~富塚地区の環境と歴史を学ぶ~の行程には、富塚地区を横断する‶幻の鉄道計画”敷地だったところも?!
~富塚地区の環境と歴史を学ぶ~
富塚城跡~西輪寺~小金牧牧士川上家~長野家墓地~矢ノ橋~鮮魚(なま)街道~富塚鳥見神社~富塚小学校跡を、しろいふるさとガイドの会、市川会長の案内で訪問します。
さぁ、出発です!
主催した(左)白井第二小学校区みどりの里づくり協議会小林会長と、しろいふるさと大使で俳優の長野克弘さんです。
※訪問先記述内容は、『第49回白井環境・文化講座~富塚地区の環境と歴史を学ぶ~』配布資料より抜粋し引用しています。
市内にあった中世の出城5つ(小森城、名内城、富塚城、神々廻城、長殿城)のうちの1つ。富塚城周辺には「桝形」や「追堀」という地名が伝えられ、富塚城が焼け落ちたとき、その火に浮かんだ武士の姿が火災を負った不動明王のようであったということから、藤ヶ谷の人々は不動詣でをしないという言い伝えもある。
この山には富塚の地名の由来となった『塚』が5つあります。谷を隔てたその奥が「富塚城」があった場所と教えてもらいました。
しろいふるさとガイドの会、市川会長からガイドで各所の解説を聞きました。史跡の由来や当時の様子が頭の中に情景として想い描ける解説に、取材していてもとても楽しめました。
この地にまつわる色々な歴史情報もお話いただき、だんだん面白くなってきましたよ!
ここには空堀があり、参加者のお一人から子どもの頃には、水があったことを記憶されている方もいらっしゃいました。
(略)、文明(1469~1487)の頃、小田原の戦いで、奥州を拠点にした海東八郎延高という武士が、下総国の相馬胤吉に討たれた。海東八郎延高の一子、急雨丸延乗の枕元に立ち、如意輪観音像を腹に納めた3尺(約90.9cm)程の聖徳太子像を造れば敵討ちを遂げられるし、その像を人々に拝ませれば商売を守護する、というお告げを受けて造られたのがこの聖徳太子像である。(略)という伝承も残っている。
建立される石碑にも、その当時を偲ばせることができました。
西輪寺の裏から境内に入ります。この出っ張りにも理由があるなんて、知らずに行くと目にも止まらないかもしれません。
普段は目にする事のない聖徳太子像が鎮座されています。編集部も初めて拝見しました。
(略)小金牧の統括は金ケ作(松戸市八柱付近)に置かれた陣屋で行われたが、各々の牧は村の名主階級が牧士に任命され、苗字帯刀を許されて、現地で織に当たった。川上家は五代にわたって牧士を勤め、その際に使用した衣類、火縄銃、陣笠、鎧と古文書類を合わせた174点が千葉県指定文化財に指定されている(原則非公開)。(略)
原則非公開で、今でもご子孫が大切に管理されています。いつの日か公開される際には、編集部も取材させていただきたいです。
明治時代以後の富塚地区は、千葉県下に誇れる文教村で、長野朔次郎などの師がいた。この長野朔次郎は学校教育に尽くしたが、名主川上次郎右衛門の招きがあって、明治時代始めに江戸から富塚地区に移住した人物である。(略)
今回参加された、白井ふるさと大使の長野さんのご先祖様が眠る長野家墓地で撮影しました。
矢ノ橋周辺から鮮魚(なま)街道へと入ってきました。
【矢ノ橋】
富塚と柏市藤ヶ谷で戦があったとき、弓矢の交戦が激しく、富塚と藤ヶ谷の境の川(現在の金山落)に矢が重なり、埋まって橋になるほどであったという言い伝えからこの地名がついた。金山落と鮮魚街道のぶつかるところを言った。
下利根川通りや西浦・北浦・鹿島・銚子方面から江戸日本橋の魚市場へ贈る鮮魚の輸送路で、鹿島道(現木下街道)とともに「なま道」の名で呼ばれた。銚子などからの鮮魚輸送は、慶安3(1650)年頃から軌道に乗り始め、江戸での鮮魚需要に増大とも関連して、元禄期(1688~1703)頃に本格化したと推測される。(略)
この道が鮮魚街道だった道です。ここを先人たちが鮮魚を担いで往来していたのかと思うと、やっぱりノスタルジックな気持ちになりませんか?!
(略)。現在の本殿は、建築様式や彫刻で飾ることが流行した江戸時代後期文化9(1812)年の建立と考えられる。一間社流造、総ケヤキの素木造で、屁柱は県内でも類例の少ない籠の巻き付いた意匠が彫刻され、壁三面には二十四孝を題材とする彫刻で飾られている。大工は地元神々廻の笠井杢之直、彫工の竹田重三郎は左甚五郎の系譜の名工である。本殿と併せて、附の棟札5枚、本殿を巡る玉垣1棟(弘化4(1847)年造)が平成17(2005)年に市指定文化財に指定された。(略)
富塚鳥見神社境内に行きましょう。とても閑静な住宅街に鎮座しています。
今年の桜も散り、手水鉢も桜の花でいっぱいでした。
富塚鳥見神社について、解説いただきました。参加される皆さんも、とても博学で色々な情報を聞くことができました。皆さんスゴイ人たちです。勉強になりました!
境内を散策する参加者の方が、珍しい蛾を見つけましたよ。
オオミズアオ(環境省の絶滅危惧種に認定されている)です!初めて知る事ばかりです!
普段人通りのない空き地に捨てられたゴミの山。「どうして、こんなところにゴミが」と残念なため息。
しろい環境塾の渡辺理事長は、ゴミ袋を取り出して、みんなで一緒にゴミ拾いをしました。
皆さんで一斉にゴミ拾いして、キレイになりました!
富塚尋常小学校跡では、2024年11月2日看板披露会がありました。
下記に看板に書かれた文面を略して記載しました。
この地は、明治21年から昭和10年までの47年間、富塚地区で最初に校舎が建てられた富塚尋常小学校があった場所である。(略)富塚尋常小学校は明治21年11月にこの地に新築移転し、明治22年には町村制実施に伴い白井第一尋常小学校富塚校へと改称するが、明治25年には再び富塚尋常小学校へと改称され、昭和10年に名内尋常小学校と統合して白井第二尋常小学校となり中地区に移転するまで続いた。その後は戦中の国民学校時代を経て昭和22年に白井第二小学校となり現在に至る。(略)
~富塚地区の環境と歴史を学ぶ~に参加した皆さんは、改めて富塚地区の歴史を楽しく学びながら、改めてこの地の歴史に思いを馳せながら終了しました。
取材日:2025年4月12日
【最後に】しろいふるさとガイドの会の市川会長の知識を聞きながら、あっという間に歩いてしまった、というのが率直な感想です。参加されていた皆さんの博学にも驚くばかりで、この散策の会はぜひオススメしたいです。土地の由来や歴史、隠れた史跡もあちらこちらにあって、知らないことをたくさん教えてもらえて、日本古来の考えた方も大変勉強になりました。参加された皆さま、しろいふるさとガイドの会の皆さん、白井第二小学校区みどりの里づくり協議会の小林先生、取材させていただき、ありがとうございました。とても楽しかったです。