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【独占取材】令和6年能登半島地震被災地支援に赴いた市職員2名(二次隊)が笠井市長へ帰庁報告

帰庁報告を終えた職員お二人に珠洲市蛸島地区の現状を伺いました

(左から)笠井市長、秋濱作業療法士、伊藤係長、山下副市長

令和6年能登半島地震により甚大な被害を受けた石川県珠洲市への支援要請が千葉県からあり、2月21日から25日までの期間、支援のために市職員2名が出動しました。

 

今回の支援に出動されたのは、伊藤係長と秋濱(あきはま)作業療法士です。

報告を受けて笠井市長は労をねぎらい、指示がありました。

 

「伊藤さん、秋濱さん本当にお疲れ様でした。まずはゆっくり休んで体調を整えてください。今回能登半島地震災害支援に立候補していただき心から感謝いたします。

 

意識を持って参加してくれたことを誇りに思います。市職員には様々な経験をして欲しいですし、また支援要請があった際には、体験したことを次に参加する職員に伝えてください。

 

私は能登半島地震で被災された皆さんを助けてあげたいと率直に思っています。参加してくださって、ありがとうございました。」

被災地支援に立候補し出動した、お二方にお聞きしました。

Q:能登半島地震災害支援はどちらに行かれましたか?

 

伊藤係長:私は珠洲市蛸島(たこじま)地区の蛸島小学校避難所です。避難所の本部は組織になっていて対策本部長のいる避難所でした。

 

秋濱作業療法士:同じ地区での見回り担当として配属されました。

 

Q:能登半島地震が発生して一カ月以上ですが、現地の状況はいかがでしたか?

 

伊藤係長:うまく言葉が見つかりませんが、家屋も道路も倒壊したままの状態です。珠洲市のみなさんの頑張りで、少しずつ道路が開通できる状態まで進められたとお聞きしましたが、ほとんどの家屋は倒壊したままの地区でした。

 

秋濱作業療法士:蛸島地区以外も少し見回りました。地盤の強い地区には倒壊を免れた家屋も多かったですが、古い瓦屋根の家屋が多い地区では屋根だけが残った家屋や全壊に近い家屋もありました。

 

道路のマンホールが飛び出していて、そのままでは支援物資等の運搬の障害になりますので、主要道路にあるマンホールの周囲は砂利などで埋めて、補給車が通行できるように応急処置は日々進んでいました。応急処置的なインフラ整備を進めている状況で、家屋の復旧を進めるこができる状況ではないと思いました。

Q:被災された皆さんの様子はいかがでしょうか。

 

秋濱作業療法士:被災された方は自主的に必要な補給物資を取りに行かねばならず、近隣の方に手伝ってもらって倒壊した家屋から車だけ引き出すなど、必要なものを自宅から取り出している状態でした。

 

Q:現地へ災害支援に行かれて、現地を見て実際どう感じられましたか?

 

伊藤係長:メディア等で映像を見てイメージして覚悟して行ったつもりだったんです。避難所から見える家屋は全て倒壊してしまっています。想像を絶する光景は寝ても覚めても「やっぱりこの状況は変わらないんだ」と率直に思いました。

 

秋濱作業療法士:被災している方々が一ヶ月以上経って、避難した先で生きていけるぐらいの物資はある状態ですが「今後自分の家を直すのか出て行くのか」、避難所の代表の方は「他所に二次避難している人たちが、ここに戻ってきた場合は対処のしようがない」といった先が見通せない不安があると伺いました。自分たちで考えられない復興について見通しが立たないことへの不安な心境を痛感しました。

Q:避難所は、どのような環境でしたか?

 

伊藤係長:蛸島小学校避難所には約110人が避難されていました。自主運営をされていて、対策本部長のもと食事班とか医療班など部門を決めて、各部門のリーダーが先頭にたって組織的にしっかり動いていらっしゃるんです。

私は災害本部や珠洲市役所との伝達、人手としての手伝いが主な任務でした。自主運営が成り立っているところでは、物資がどんどん届き一つ一つが整理されていました。我々が支援に行かせていただいた所は、水洗トイレが設置され、また2トンのポリタンクに水を入れて利用できるようになりました。細かく使用方法を決め、「いつからどうやって誰が使うか」という運営をされていました。

 

秋濱作業療法士:見回り隊は蛸島小学校も含め「蛸島保育所」「元気の湯」という避難所を自主運営している所を主に回り、避難所で困っていることやそのニーズを聞き取り、災害本部へ報告し、得た回答をお伝えするという行政との橋渡しを担っていました。

避難所自体は物資も揃っていて、自主運営している人たちも掃除当番などの役割分担を決めておられました。運営自体に困っているから人手をくださいという状況ではありませんでした。補給物資は自衛隊が2日に一度、生活必需品一覧を回収します。例えば「トイレの凝固剤」と書いて出すことで、自衛隊から供給されますので直ちに困ることは少ないです。最低限の物資が揃ったら出てくる要望も、生活がもう少し円滑に行くための物資へと変わり始めました。

 

Q:復旧に向けて現地の様子はいかがでしたか?

 

伊藤係長:蛸島地区ではこれからの復旧でいろいろな段階があると思いますが、倒壊家屋を修理して住めるという感じではないので、解体撤去について本部長が大変気にしておられるところでした。公費や自費での解体撤去についても考える中で、隣家の敷地に傾いた家屋もありますので、早めに着工しなければいけませんが、自費で解体した場合の費用負担をいかに解決できるのかも気にされていました。

 

徐々に生業が始まりそうな雰囲気もありました。漁師など漁業関係者が多い地区ですので、これから漁に出始める方や既に漁に出ている方もおられたとも伺いました。

Q:避難所では復興に向けてどんな課題があると思いますか?

 

伊藤係長:蛸島地区の避難所は若い人たちが運営に関わっていましたので、働けるようになると避難所運営の体制や仕組みの組み直しが必要です。

 

他の地区でも見直しについて課題は出ていました。

 

今まで避難所を運営していた方々が、ご自分の生業に少しずつ戻り始めると、避難所の運営自体に人手が少なくなってきますので運営が立ち行かなくなることが危惧されます。

伊藤係長、秋濱作業療法士、ありがとうございました。

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。